何かの「持ち主にならない」ために


あなたはいま、すごく欲しいと思っているものはありますか?
物に限らず、地位や名誉、仕事や家族、恋人……。
それらを手に入れるために頑張ることは悪いことではありません。
ただ、それらを手に入れたあと、その「持ち主にはならない」でください。

 

自分が手に入れたものだから、持ち主になるのは当然では? と不思議に思われるかもしれませんね。
では、欲しかったものを手に入れてからのことを想像してみてください。
手に入れたあとは、それを失わないように大事にしよう、守ろう、と思うでしょう。

 

仕事を手に入れたあなたは、今度はそれを失わないようにと頑張ります。
仕事を手放さないよう、守ろうとする心の動きになるわけです。
「この仕事を失わないように、こうしなければいけない」
「こういう行動をするとこの仕事を失ってしまうから、してはいけない」

 

こんなふうに、私たちは何かの持ち主になった瞬間に、自分に「制約」をつくってしまうのです。
ヨガの到達点は、自分と他の境をなくし、すべてのものと一つになること。
「これ(仕事)は私のものだ!」と執着することとは反対の考え方ですよね。

 

結婚についても同じことが言えます。
結婚して、この人は「私の」妻、という意識を持った瞬間、あなたは「彼女の」夫になります。
ひとりの人間だったはずが、「彼女の夫」という制約を自分でつくってしまうのです。

 

「私は彼女の夫なんだから、こうしないといけない」と自ら言動を制限したり、「私の妻なんだから、彼女はこうしないといけない、こうあるべきだ」と考えて、それを相手にも強いてしまいます。

 

初めて会ったときの女性(男性)への接し方と、妻(夫)になった後の接し方は違いますよね。
結婚して接し方が変わるのは、初めて会ったときはひとりの女性(男性)として見ていた人が、「自分の」妻(夫)になったから。
自分の持ち物になった、という意識が接し方や話し方を変えてしまったのです。

 

愛や結婚は、尊重や思いやりの気持ちを更に成長させるものです。
でも、「持ち主になった」ことで無意識に自分の言動を制限し、「こうであるべき」という気持ちが相手の言動も制限する――どちらの成長も妨げてしまいます。

 

ヨガの教え、八支則の「ヤマ(してはいけない規則)」の一つ、「アパリグラハ」は「貪らない」という意味です。
これは、何かの「持ち主にならない」ようにと私たちを戒めてくれるものなのです。

 

「何かを手に入れようと思ってはいけない」「仕事をしてはいけない」「結婚してはいけない」と言っているわけではありませんよ。
気づいてほしいのです。
あなたのその言動は、何かの持ち主になっていることからくるものではありませんか?
「自分の」もの、と思い込んでいるせいで、考え方や行動がどれだけ制限されているか――そのことに気づくことが、執着を手放すことへとつながるのです。

 

yogi vini