ヨガ人に教える、ということ
私のヨガ教室には、インストラクター養成の講があります。 講座の最終日に私は、「どうですか、皆さん。先生としてやっていけると思いますか?」と聞くのですが、「できます!」と言う人もいれば、「まだちょっと自信が……」と言う人もいます。 まだちょっと自信が……と言う人に、私はお医者さんを例に出して話をします。
私のヨガ教室には、インストラクター養成の講があります。 講座の最終日に私は、「どうですか、皆さん。先生としてやっていけると思いますか?」と聞くのですが、「できます!」と言う人もいれば、「まだちょっと自信が……」と言う人もいます。 まだちょっと自信が……と言う人に、私はお医者さんを例に出して話をします。
幸せだけがほしい不幸は避けたい。 みんなそう思っていますよね。 しかし、ヨガの哲学では【幸せと不幸、両方の存在を感じる】ことが大切なのです。 両親からお小遣いとしてお金をもらったときと、自分が働いて苦労してお金を得たときの気持ちを比べてみてください。 なかなか手に入らないもの、苦労を伴うものだと知っているほうが(お金が手に入って嬉しい!)という気持ちは強いはずです。
幸せと不幸、お互いの存在を感じることが大事だ、とお話しました。 実はヨガの道――修行においては、更に一歩進んだことを求められます。 それは、幸せと不幸を感じたあと、自分を変化させないということです。
自分の考えを話しているときに「それは違う!」と言われたりすると、ムッとします。いま、私が意見を言う番なのに――と思いますよね。 腹を立てた自分がイヤになることもあるかもしれません。 でも、「私」を下ろせばそれがなくなります
この愛車を大事にしたい、この幸せを守りたいと思うのも当然です。 インドでは交通事情があまり良くないので、乗ってしまうと新車にすぐ傷がついてしまいます。あなたは車を守るためにどうするか考えて、車を駐車場に置いたまま、乗らないようにするでしょう 乗らない車を磨いて大事にする――そういう幸せもあるかもしれませんが、その愛車に乗ってあちこちドライブするほうが、もっと幸せになれると思いませんか? もし、傷がついてしまったとしても、それ以上に車と出かけた幸せが得られるはずなのです。