私、ビニはヒンドゥー教徒です。インドにいる家族もヒンドゥー教徒ですが、日本の方にはあまり馴染みのない宗教かもしれませんね。
ヒンドゥー教にも神さまがいます。ヴィシュヌ神やシヴァ神、ブラフマー神など……。
もし、神さまが「私はヒンドゥー教の神さまだから、ヒンドゥー教の人だけを見守ります」と言ったら、「小さい神さま」になってしまいます。
でも、神さまに「ヒンドゥー教の」という枠はないんです。

 

神さまは私たちを「ヒンドゥー教の人」「イスラム教の人」「キリスト教の人」「仏教の人」などといった枠で見ていません。
人間全員を―この世のすべてを見守ってくれている。
枠がないから、神さまは「大きい」のです。

 

私たちは、どうでしょうか?
どうしても「自分の」家族、「自分の」子どもにばかり、目が行きがちです。「自分の」という枠を無意識につくっているので、「小さく」なりがちなんですね。
神さまのように、すべての人を同じように見ることができたら、その人は「大きい」わけです。
これはヨガの目指す、「自分の」という枠をなくして周りと溶け合っている状態と言えます。

 

では、どうして「自分の」という枠をつくってしまうのでしょう?
それは……私たちは枠があると安心するからです。

 

野外で一晩、寝なければいけない、という状況を想像してみてください。小屋も何もなく、あるのは空と地面だけ。
不安な気持ちになりませんか?

 

でも、そこに屋根がある、と考えてみてください。
少し安心できますよね?
空の下で寝ていることには変わりがないのに、屋根をつくったことで安心できる。そうすると、今度は「屋根」を守ろうとしたり、「屋根」から離れないように行動します。

 

宗教、国籍、家庭、社会……。
私たちの周りにはさまざまな「屋根」――枠があります。
囲い、壁、盾、と言い換えてもいいかもしれませんね。
そうした枠の中に自分がいることで安心しますが、「枠があることで自分が小さくなっている」ことに気づいてほしいのです。

 

私は『YogaVini』というヨガスタジオで、ヨガを教えています。
先ほどの「空の下で寝る」という例え話に当てはめると、ヨガは空、『YogaVini』は屋根ということになります。
『YogaVini』という枠にこだわると、他のスタジオと比べて繁盛していないな、とか、他のヨガスタジオがすごく人気があって悔しい、などと考えてしまいます。

 

でも、「どこのスタジオであっても、ヨガそのものに人気があって盛り上がっているなら、それでいい」と思えるなら、どうでしょう?
それは私自身の成長に繋がります。『YogaVini』を守ったり、繁盛させたりすることに余計な時間や気(プラーナ)を使わなくていいからです。
「私はヨガの修行者だ」と理解した上で動く。『YogaVini』という小さな枠にこだわらない。それが大事なのです。

 

屋根の下にずっといると、空を見ることができませんよね。
でも、一歩そこから出て見上げれば、素晴らしい空ーー世界が広がっていることに気づくはずです。

 

yogi vini