Category: yogi vini blog

呼吸に意識を向けてみましょう

  生きていくために、私たちは呼吸をし続けていかねばなりません。 呼吸は「気」(プラーナ)を身体に取り入れるという、非常に重要な役割もしています。 しかも、鼻の穴のどちら側で呼吸をしているか、というだけで「気」の流れが変わるのです。 そんな大事な動作なのに、私たちは「さあ、今から呼吸するぞ」なんて考えず、無意識に呼吸をしています。   ところで――あなたは朝、スッキリ目覚めていますか? ちゃんと眠ったはずなのに身体がだるいなぁ、と思っている方は、眠る前に次のような呼吸法をやってみてください。   まず、左の鼻の穴を指で押さえて、右側だけで息をゆっくり吐いて吸って、を数回繰り返してみてください。 次に、右の鼻の穴を押さえて、左側で同じように数回、呼吸をします。   指を放すと、すーっと鼻が通った感じになりますし、頭もスッキリするはずです。 翌朝、とても起きやすくなると思いますので、試してみてください。 私はこの呼吸法のおかげで、毎日目覚まし時計やアラームに頼らず、起きることができています。   最終的に空気は肺に行くのだから、左右どちらの鼻の穴から入ったっていいじゃないか、と言われるかもしれませんね。 それなら、鼻の穴は一つでいいと思いませんか?  二つあることに、ちゃんと意味があるのです。   右の鼻からの呼吸は交感神経に作用するので、心身が活動的になります。 左の鼻からの呼吸は副交感神経に作用するので、リラックスできます。   私たちは通常、この左右の呼吸を交互に切り替えていると言われています。 左右の切り替えがうまくいかないと、交感神経と副交感神経のバランスが悪くなり、心身に不調が現れることが多くなります。 逆に、意識して右と左で交互に深い呼吸をすれば、自律神経のバランスを整える助けになるのです。   「鼻がいつも詰まっている、詰まり気味」という方は呼吸も浅くなりますので、交感神経が必要以上に刺激され、ストレスもたまります。 先ほどの呼吸法で鼻の詰まりが解消できる場合もありますし、心身を整えるためにも、ぜひ、呼吸法を普段の生活に取り入れてみてくださいね。 …

私たちは「持ち過ぎ」なのです

  失うことの怖さから、嘘をついてしまうことがありますね。 嘘をついたときのことを思い出してみてください。 ついた嘘を守ろうと必死になりますよね。 バレるかも…と不安になったり、恐怖さえ感じることも…。   嘘がバレてもバレなくても、嘘という負い目を持っていることは自分自身が一番わかっています。 ヨガ八支則の「サッティア」は「嘘をつかない」です。「ヤマ」(社会的にしてはいけない規則)の一番目にあります。 どれほど小さくても、嘘をついてしまうと心に負い目を抱えて、余分なエネルギー(プラーナ)を流出してしまいます。 嘘をつかなければ、そんなエネルギーの流出はないわけです。   嘘をつくのは、自分のもの――仕事、家族、恋人、友情、プライド、地位や金品など、それらさまざまなものを守るためです。 失うのが怖いから、嘘をつく。 だから、嘘をつけばつくほど、自分のものを守ろうとすればするほど、この嘘がバレたら自分は生きていけなくなる、とすら思い込むようになります。 ついた嘘に縛られていくのです。   一度、「私は嘘をつかない」と決めてみてください。 「嘘をつかない」ことを意識するだけで、これまでいくつも、こんな時に嘘をついてきた!ということに気づくでしょう。 その嘘を守ろうとしている自分にも、使ってしまっている余分なエネルギー(プラーナ)にも気づくはずです。 もちろん、自分が守りたいと思っているものも、ハッキリとわかるでしょう。   いろいろなものを持てば持つほど、それらを手放すことは怖くなります。 でも、持っているものが少なければ、失う怖さも少ない。 そもそも、私たちは「持ち過ぎ」なのです。   「でも、愛する家族や大事なものを捨てることなんてできません!」 「それならヨガの道を極めなくていい!」と思いますか? 「持ち過ぎ」と言っても、いますぐ大事なものを捨てなさい、というわけではありません。   …

ヨガ八支則 2段階目ニヤマの規則「イーシュヴァラ・プラニダーナ」

  八支則の「ニヤマ(個人的に、守るべき規則)」で、その最後の規則は「イーシュヴァラ・プラニダーナ」です。   どういう意味かという説明はちょっとあとに置いておいて――。 私たち人間はいろんな努力をしたり、いろんなことを考えて行動したりしますが、どれだけ頑張っても、思い通りにならないこともあります。 頑張ったのに、嫌なことばかり起きることだってあります。   例えば、ですが――道を歩いていて事故にあったとき、あなたは「なんでこんなところを歩いたんだろう」「なんで周りに気を配っていなかったんだろう」と自分を責めたりしませんか?   私たちは「あんなことをしなければよかった」「あそこに行かなかったらよかった」「こうすればよかった」と自分を責めてしまいがちです。 自分だけでなく、「あなたがああ言ったからこうしたのに」と他人を責めることもありますよね? なぜこんなふうになるのかというと、人間は自分や他人に責任を持たせたがる生き物だからです。悪いことを起こした原因がどこかにある、と思っておきたいのです。   でも、そんなふうに悪いことが起きたときに責任を全部引き受けないでください。他人に責任を押し付けないでください。 責任を持たせること、原因を決めつけることで、自分や他人を苦しませているのですから。   イーシュヴァラは「神さま」、プラニダーナは「すべて」。 「イーシュヴァラ・プラニダーナ」とは「神さまの意思がすべて」という意味になります。 つまり、すべての出来事は神さまの意思で起きるのだから、自分の考えや行動を超えた出来事が起こるのも当たり前なのです。   これは別に、神さまにすべての責任を押し付けろ、という意味ではありませんよ。 自分や他人を責めるのではなく、一旦、「これは神さまの意思だから仕方がない」と距離を置いてみましょう、ということです。 起こってしまった出来事しか見えていなかったあなたも、そう思うことで全体を見る余裕ができ、冷静に「どうすればいいか」を判断できるのではないでしょうか?   【この世界は、あなたの力で動いているわけではない】――そう考えると、気持ちが楽になりませんか? きっと、今あなたが悩んでいることや苦しんでいることも、少し違った見え方をするかもしれませんよ。   yogi vini …

あなたの「いま」の心を知る

  ヨガの哲学を説いた「パタンジャリ・ヨガ・スートラ」。 その中に書かれている八支則の「ニヤマ」というのは「個人的に守るべき規則」で、
その守るべき規則の一つが「サントーシャ」です。   「サントーシャ」を日本語に訳すと、「知足(足るを知る)」。 老子や禅の言葉にも出てきますね。 「いま、自分自身が持っているものに満足しましょう」ということです。   この「いま」というのが重要です。 将来はまだきていませんし、過去はもう過ぎたもの。 過去を振り返って、(あのとき、すごく幸せだったな)と思うこともあるでしょう。 その幸せだった過去を思い出して、幸せな気持ちになるかもしれませんが、裏返すと、いまが幸せじゃない、ということになるのです。   そんなことはない! と言う人もいるかもしれませんね。過去を思い出したことで「いま」は幸せな気分になっているのですから。 でも、それはもう過ぎてしまった幸せを、いまの幸せだと誤解しているだけなのです。   アレがあったら幸せなのになぁ、と思うことはありませんか? いまの仕事を辞めて、あの仕事ができたら幸せだろうなぁ。 この人と別れて、あの人と一緒になれたら幸せだろうなぁ。 アレが手に入ったら、私は幸せだろうなぁ――というふうに。   こんなふうに、「将来、幸せになるだろう」と考えるのは、(いまのままの自分が不幸だ)と、心のどこかで思っているからではないでしょうか?   「いま」幸せを感じていない人は、いつまでも幸せになれないと私は思います。 なぜかというと、幸せを感じる・感じない、というのは心の持ちようで変わるからです。   例えば、あなたは大好きなカレと一緒にいるだけで幸せだとします。 その日も楽しくデートをして、(ああ、とっても幸せ)と思っていたのに、別れ際にカレの携帯を何気なく見てしまった。 すると、女性から「待ってるね」なんてメールが入っていたのです。 …

ヨガ八支則 2段階目ニヤマの規則「スヴァディアーヤ」

  八支則の「ニヤマ(個人的に守るべき規則)」の4つ目は「スヴァディアーヤ(聖典での学び)」です。   私たち人間は、よく他人を分析します。「この人は〇〇なタイプ」「あの人は〇〇な人だから。」というように。 そうやって他人のことはよく観察したり分析したりするのに、自分のことはよくわかっていないことが多いですよね。   これまでお話したように、ヨガの目標は「自分と周囲が溶け合う、周りと融合した状態になる」ことです。 そこに至るまでの段階として八支則があり、そこで自分の本質や魂を理解していきます。 今回お話しする「スヴァディアーヤ(聖典での学び)」は、自己を分析し、前向きに成長していくことです。 そのために聖書や古典などのよい本を読んだり、偉人の言葉から学んだりして、あなたの考え方や行動の「基準」としてほしいのです。   自己分析というと、「私は〇〇なところがいい」「私の欠点は〇〇」のように、「自分から見て」という観点でやっていませんか? 実はこれではダメなのです。なぜなら、これは自分の価値観を基準にした分析だから。そうではなく客観的に自分自身を分析してください。   例えば、次の話を聞いた時、あなたはどう思いますか?   お金にすごく困っているお母さんがパンを万引きして、お腹をすかせた自分の子どもに食べさせました。 あなたは母親の行動は正しいと思いますか、間違っていると思いますか?   感情を重視する人だったら、「子どものためにしたことだから、正しい行動だ」と言うかもしれません。 「どういう理由であっても、法律は守らなければいけない」という信念を持っている人は、「このお母さんがしたことは間違っている」と思うでしょう。 同じ一つの出来事を見ても、このように人によって捉え方が変わりますね。   あなたは自分の言動が正しいのかどうか、わからなくなったときはどうしますか? お父さんやお母さん、先生や友だちに話して、正しいかどうか判断してもらいますか? ネットで不特定多数の人に、訊ねる場合もあるかもしれません。 これなら、自分が判断したわけではないから客観的だ、と思われるかもしれませんが、実はこれではまだダメなのです。     …